WEAKEND
- 創作コンテスト2016 -

※非公式設定アリ

夢追人



小さいころ、ヒーローに憧れていた。
どんなときも冷静沈着、圧倒的な力の差にも屈せず立ち向かう勇気。
僕には無いものを、ヒーローは全部持っていたから。







右斜め上から蹴襲がくる。
だがそれはフェイントだ、本当の一撃は蹴襲を避けた後の回し蹴り。
ならば初撃をいなして回転のモーションに入る前に叩けばいい。

剣を蹴襲に合わせて構える、瞬間に重い衝撃が剣を伝い体に響きわたった。
手の痺れを感じながらも次の一撃に繋げる為に無理矢理腕を降り下ろし、間合いを詰めた。
相手は予想通り回転のモーションに入っている……もらった。

剣を肩の高さに合わせ相手の喉元めがけて貫く。
視界から相手が消えた。
重い鉄の塊が空気を裂く音が聞こえ、その音に重ねるように鈍い音を立てて……気付けば僕の体は宙を舞っていた。

あぁ、また勝てなかった。



「おい」

怒気をはらんだ声。
両手を大の字に広げて倒れている僕はその声にびくりとした。冷や汗が流れる。

「マジでやってんのかてめー。
目も両手も塞いでやってんのになんで負けれるんだよ」

片手をポケットに突っ込み、もう片方の手で乱暴に目隠しを外しがらジンさんは僕に舌打ちをした。
うう、やっぱり怒ってる。

「す、すいませ……、もう」

絶え絶えの息を呑み込みながら節々の痛みを堪えて起き上がる。
今日は朝からずっとこんな調子でやっていたから、もう限界、なんだけど。

「かてーんだよ、頭も体も。
てめーの構え、授業で習いましたーってのが丸わかりなんだよ。
基本になぞるのは授業で点を稼ぐ時だけで十分だ。
目だけで闘ってんじゃねーのか?」

「"戦闘において、勝利の道筋は相手を見据えることから始まる"と習ったので……」

ハア、とため息を吐くジンさんに精一杯の言い訳をする。
何を隠そう昨日習った事だ。
……ちょっとだけ怖い目つきの、天魔大戦を勝ち抜いたっていう上級天使のヒトが言っていたんだ。
だから、ちょっとは試してみようって、思ったり、して。

「"天魔戦闘理論学二十八項、対魔物戦闘の対策と心得"……んなふるくせー教材まだ使ってんのか。
そんなもん知識だけに留めとけよ。
大体実力が伴わねーのに理論で闘う事自体おかしいんだよ」

「……ッ、はい」

「とりあえず、目だけじゃなくて耳も鍛えろ。
音使いになれとまでは言わねーからよ、獲物が剣なら目に頼るだけじゃダメだ」

……意外だ。
ジンさんは日頃の素行、じゃなくてイメージ的に。
勉強、もとい。そういう事は覚えてないヒトだと思ってた。

「あとはそのへっぴり腰やめろ。
腰が入ってねーから避けられた次のアクションに時間がかかんだよ。
自信を持て。自分が勝って当然、なんでも叩っ斬って当然ってな」

「……はい!」

「まあ、てめーじゃ俺には勝てねーけどな」

「え、ええー……」

「ほら、次」

転がっていた僕の剣を無造作に投げながら、ジンさんはスタスタと歩いていく。
カランと音を立てて地を滑る剣を一瞥して、青々とした空を見上げた。

ああ、今日はあと何回転がるんだろう。





*****


理由は、多分ない。
ただ漠然と夢見ていた。
男の子なら誰もが一度は描く理想。
強く、正しい大衆の偶像でありたいと願った。
そんな、硝子の様に裏表無く透き通った軽薄な夢を抱いた少年のころの僕には、ある日偶然見かけた天使の姿が大きく心に響いた。

どんな状況にも的確な判断を下し冷静に任務をこなすその天使は、身の丈ほどの大きな斧を軽々と振り回して並みいる魔物たちを蹴散らし、赤襟の白い外套が翻るその背に六つの輝きを煌めかせていた。

たとえ大きな傷を抱えようと、周囲の感嘆を一身に受けようと眉一つ変えずに、その双眸は遠い彼方……僕にはわからない何処かを見据えて、佇んでいた。

そんな姿が、ただ。
眩しく思えた。
僕の思い描いていたヒーローの姿が、そこにあった。

「あ、こんなところにいたんだ。
ラグナー、今日ご飯どうするー?」

素質があると知ったときはもう渡りに船なんて気分で。
あの天使になれるんだ!任務で強大な敵が立ちはだかっても仲間たちと共に力を合わせて勝利の道筋を切り開いていくんだ!
そう僕は、これからの日々に大きく胸を震わせていたんだ。

「今日はお魚が安かったから煮付けにしようと思うんだけどー」

それも、昔のはなし。
あの後数えるのも嫌なくらい転がっていたら、何かの書類を小脇に抱えたサキさんが現れてジンさんを叱りつけた。
面倒そうな生返事を返すジンさんは頭を掻きながらどこかへと去っていき、それがいつもの特訓の終わりの合図だとフラフラになった体に鞭打ち天使の城の庭にあるベンチまで向かっているのが今の僕。

「……ラグナ?」

そのままだらりと座り込み空を見上げていると、いつの間にか夕焼けが空一面に広がっていたりして。
もうこんな時間か……と一息を吐いて、ぼ「ラグナってば!」うわっ!?

びっくり。
突然右耳から左耳を貫かれたような怒声が響き渡った。
……怒声と言うより、弩声という方が正しいかも知れない。
矢の様に一本芯が通った声の方を向くと、幼馴染みのレミが腕を組みながらずん、と立っていた。……怒り心頭だ。

「レ、レミ!?ごめん、気づかなかっ」

「もう!私の話全然きいてなかったでしょ。
あーきっと、どうせ。
またジンさんに苛められたんでしょ?
あのヒトもほんと毎日毎日ラグナをこんなにして……あんなヒトに付き合うなんてそろそろやめたら?」

一気にまくし立てながらぷりぷりと怒るレミ。
幼い頃からレミは僕と一緒に居て、いつもこんな風に世話を焼いてくれている。
……なんというか。僕は、物を知らないところがあるらしく。
放っておけないとか言っていつもぐいぐいと引っ張ってくるんだ。

そりゃあレミにはいつも感謝してる……けど、ちょっと過保護じゃないかなって思う時もある。

「いやでも大天使になったのにまだジンさんは面倒をみてくれてるし、そんな実力のあるヒトから教えてもらえるなんて滅多にないことだよ」

苦笑いをしながら、レミを宥める。
確かにジンさんは結構スパルタだけど、それでもなんとかついていけるくらいを図ってくれてるし……僕だって、昔よりは成長してるんだ。

でも、

「もう大天使にもなったんだからそんなのやめちゃえばいいのに。
ラグナもあんなヒトに付き合ってないで勉強に集中しなきゃだめだよ?昨日のテスト何点だったっけ?」

ぴっと僕に指を指すレミの視線が刺さる。
……現実は、そう上手くいかない。
同時期に一緒に天使を目指したレミは既に研修過程を修了し、晴れて下級天使になっている。

では僕といえば。
未だ見習いのまま訓練と勉強をひたすら続ける毎日を送っている。
レミの手前表情には出さずにいるけれど……正直、不安と焦りでどうかしてしまいそうだ。

「うっ。それは、そうだけど」

たしかに筆記テストは散々な結果だった。
前日までジンさんとの特訓をこなしていたっていう言い訳もあるけれど、単純に僕の勉強不足。
でもそのかわり、実力はついてきたと思う。
前回の実技テストは何十人もいる中で五位をとれたんだから。

「もうすこしだけ頑張りたいなあ、とか」

勉強は、後回しでいい。
今は感覚が研ぎ澄まされてる実技の方に力を入れていきたいから。
……ジンさんだって、知識は実力が伴ってからだって言っていたし。

それに、

「……もう。もうすぐ試験なのに。
体、壊しても知らないからね」

フン、と息を鳴らし背を向けて去っていくレミ。
その姿を眺めて一息、ため息を吐く。

それに。
僕は、ヒーローになりたいんだ。

「……なんて」

わかってる。
もう小さな子供じゃないから、色々な事を知ったから。その夢がどれだけ馬鹿げていて下らない、うだつの上がらない現状に対する言い訳になってしまっているということも。

それでも、そうありたいと思うのは悪いことじゃないと思いたくて。
気晴らしに訓練だと強引に引きずってくるジンさんに、今日も半ばがむしゃらに着いていったんだ。
そんな僕の姿が周りに、レミにはどう見えているのだろうと思うこともあるけれど。

「このままじゃ、かっこ悪いよなあ……」

そんな、わかりきった答えに項垂れている僕にとどめと言わんばかりの夕暮れの鐘が鳴った。

「はあ……」

ああそうだ、頭でどれだけ格好よく取り繕ってみても結局全部ただの強がりだ。
下級天使のレミ、天使見習いの僕。
本音は、そのどこかの一つでもいい。
こんな僕を心配してくれる、優しくて優秀な幼馴染みにどこか一つでも並べる所があればいいと、それだけ。

「勉強、しなきゃな」

小さくなるレミの背中を眺めて呟く。
前を見て先へ進む彼女、夢を見て座り込んでいる僕。
それが僕と彼女の差だとでも言うかのように、呑気に空を飛ぶカラスはカア、と鳴いていた。






*****




寝坊した訳じゃない。
ただ、自業自得とも言える日々の疲れと筋肉痛、あの日から前日までレミにこれでもかと詰め込まれた単語が知恵熱を引き起こしたのも合わさって、試験当日としては最悪の目覚めだっただけだ。

「ラグナ!頑張るんだよ!」

「う、うん」

正直、ここまでの足取りも覚えていない。

「5-1属性説、7属性説、重属性説の違いは?」

「え……っと、なんだっけ」

「ほら!また覚えてない!呪って言葉が出たら5-1属性説、聖闇って出たら7属性説、火火って言葉が出たら重属性説って書けばいいから。理解しなくていいから点数取って」

矢次ぎ早に捲し立てるレミ。
その肩には顔を真っ赤にしてぐるぐると目を回すセトさんの腕が回されている。
横ではフリズがメトロノームみたいにごめんなさいと頭を下げては上げていた。

「ラグナ……オレはもう、ダメ、ダ……。あ、とは、頼ん……」

そしてそのセトさんはというと、僕に何かを言いかけてそのまま深い眠りについてしまっている、と。

「何が、何だか……」

全くわからない。

「あとでちゃんと教えるからまずは合格して!ラグナ、心配なのは筆記だけなんだから」

レミが斜め上の返答をする。
いや、そっちじゃなくて試験直前にセトさんがなんでそんなことになったのかが知りたかったんだけど。

「が、頑張るよ」

釈然としない心持ちのまま、最終的に二人に支えられながらズルズルと去っていくセトさんの背中を見送る。
セトさん、足引きずってますけどお大事に。

「ラグナ?ラグナ=リシェン。欠席か?」

背後から僕を呼ぶ声に驚き、振り返る。
視線の先、声のする方には綺麗に整列した僕と同じ見習い天使たちと、書類を片手に人数を数えるサキさん、そして隣には僕を見据える……あの、憧れのヒトがいた。

「わぁぁぁ!います!いまーす!」

両手をブンブン振りながら走る。
しまった、僕まで試験に出れなくなるところだった。

「フン、見習いであろうと天使たるもの規律には従え。時間厳守は基本ですらない」

ピリッ、と冷徹な視線が刺さる。
憧れのヒトにいきなり怒られるだなんて、幸先が悪い。

「す、すみません」

頭を下げる僕に鼻を鳴らし、あのヒト……ウーリさんは声高に言い放った。

「解ったら早く並べ。
……貴様らにも言っておくが、今の大天使に影響を受けて来ている様な軟弱者は居ないだろうな!」

「「「ハイッ!」」」

見習い天使たちの威勢の良い返事に冷や汗がダラダラ流れていく。
サキさんと目が合う。
苦笑いをしながら、目を背けられた。

「……ハィ」

小さく呟きながら決意する。
えっと、うん。
これからジンさんの特訓は少し、減らしてもらおう。うん。






*****




ウーリさんは任務の打ち合わせに行く道中で軽く様子を見に来ただけのようで、テストが始まると直ぐに居なくなってしまった。
これ以上ヘタなことをして更に評価を下げなくて良かったと安堵するか、見直してもらえるチャンスを逃してしまったと捉えるかは……まあ、今は考える時ではなくて。

それよりも、だ。
時間というものは、なんて不確かなものだろう。
同じ時の流れの中にいるというのに、ある者には無限に、ある者には一瞬にも感じるのは、その時の中でどれだけの充実感を得られるかが大きいと思う。

ヒトは充実感を得られなければ退屈という感情がこみ上げてくる。
退屈は、ヒトの脳に突然現れる敵だ。言わば魔物だ。
そんな退屈に頭を支配されてしまうと一秒間、その刹那でさえ空白を産む様な心持ちで過ごさなければならなくなってしまう。

一秒間の過程……つまり、視界のどこにも心に残るものの無い脳が、何か心に残るものを無意識に探しているから一秒ですら長く感じてしまうのだ。

だが、逆に言えば充実感さえ得られれば退屈はやって来ない。
結果がどうあれ、過程に充足していれば一秒間は一分、一時間へと姿を変える。
結果がどうあれ、それは有意義な時間であったと言えるのではないだろうか。
結果がどうあれ、その点で言えば確実に僕は後者のはずだ。
そうだ、僕は退屈という魔物に見事打ち勝ったのだ。

「終了時刻だ。
皆ペンを置いて。試験官は後ろから答案用紙を回収しなさい。
十分休憩の後、実技試験に入ります」

数メートル離れた場所に居るサキさんの声がいやに遠く聞こえる。
……そう、退屈なんて微塵も感じなかった。
一秒間の空白もなかった。
とにかく空白を埋めることに没頭していたから。

力無くペンを置き、答案用紙を試験官に渡す。
テスト内容を頭の中で何度も”はんすう”するんだよとレミに言われたから、とりあえず何度も読んでみたけど……分からないものは分からないままだった。

「だ、大丈夫。呪は5-1属性説……聖闇は7属性、風風は……風、風……?」

「ラグナ」

「ふぁい!!」

いきなり後ろから肩を叩かれて振り返ると、サキさんが怪訝そうな顔で僕を見ていた。

「もうみんな移動してるよ。さっきも遅刻しかけてたけどどこか体調が悪いの?」

心配してくれるサキさんは辺りをちらちらと伺いながら耳元で囁く。
正式な試験だから変に親しくしては贔屓目をしていると思われてしまうのだろう……なんて考えながら辺りを見渡すと誰もいない。まずい。

「だっ、大丈夫です!ありがとうございます!すぐ行きます!」

勢いよく立ち上がり、実技試験会場へと向かう。
少しだけ後ろを振り返ると、サキさんは呆気にとられた様な顔を一瞬みせてから苦笑して「ファイト」と口だけ動かしていた。





実技試験は年度毎に種目を変えている、予習のきかない試験だ。
ある年では実際の小隊のように見習い同士でチームを組み与えられた課題に挑んだり、ある年ではチームを組んで試験官の中級天使や上級天使相手に複数対一の模擬戦闘を行ったりする。

試験官が見守る中、実戦に近い状況での個々の判断力、不足の事態での対応力、そして単純な戦闘能力を測るこの試験は、些か勉強不足だった僕のような見習いたちの頼みの綱でもあるのだ。

「ラグナー!がんばってー!」

少し離れた場所でレミが手を振っている。
もう片方の手には天使の制服らしき……制服?しかも男物?
軽く手を振り返し、一息を吐く。
……気にしないでおこう、今は集中しなければ。

こんなかんじで、実技試験は基本屋外で行うためレミみたいに試験官だけではなく任務のない天使や小隊の隊長、時にはジオディ様も見に来ていることがあると言うから一瞬たりとも気を抜けない。

そんな大事な今年の試験内容は、見習い天使同士の一対一。
……いける、これならば僕は自信がある!

「きみきみ、ラグナ君だよね?」

自分の出番を確認していると声をかけられた。
涼やかな顔をした、僕よりいくつか年上のヒトだ。
名前も知らないくらいの何度か、訓練で見かけたことがある。

「は、はい!」

「君の相手は俺だ。お手柔らかに頼むよ」

そう言って、そのヒトは笑った。
優しそうなヒトだ。
あのヒトが相手なら変に気を張らずにいける気がする。

「実は、俺の家族は重い病気を患っていてね。
元気に動けるのは俺だけなんだ。
天使って、普通の仕事より高給だろ?通院にかかる費用も馬鹿にならなくてね。
今は天使見習いに加えてバイトをしてどうにかって感じなんだ。
なあ……わかるよな?」

「は、い?」

笑顔を絶やさないそのヒトにずいと近付かれ、左肩を掴まれる。

「君にはまだ”次”がある。
けど俺には”次”がないかもしれない。
言わば、今回が最後のチャンスなんだ。
実技テストの君の成績は知ってる、だから。
”お手柔らかに”頼むよ」

掴まれた左肩に強く、強く力が入っていきミシミシと音を立てた。
背筋に寒気が走る。
この、ヒトは。
何を、言っているんだろう。

「それじゃ。また後で」

口元だけが笑っている。
そんな不気味な笑顔を浮かべたそのヒトは去っていった。
足が別の生き物かと思うほど動かない。まるで、金縛りにあったみたいに。

「……、ラグナ=リシェン。
両名は壇上へ上がりなさい」

会場に響き渡るアナウンス。
その声にどうにか身体は反応してくれて金縛りは解けた、けど。
歩を進める足の感覚は未だ無い。
脳裏には壊れたスピーカーのように、先程の会話が延々と繰り返されていた。

「いいですか。
これから貴方達に渡すのは模造品の武具、ですが。
打ち所が悪ければ致命傷にもなりかねません。
私をはじめ、医療班が待機していますので身体に異変を感じたら直ぐに辞退すること。
勝敗に評価は関係ありません。
天使として、節度ある判断を期待しています」

ジンさんとの特訓の後によくお世話になっていたラファさんの声ですら、耳を通り抜けていく。
言われるがままに受け取った模造品の剣は、いつも使っている自分の剣よりずっと重く感じた。
正面に居るあのヒトと目が合う。
にこりと笑うその表情の裏に、幾つもの声を感じた。

そう、それはずっと。
感じていた事だ。
思っていた事だ。

「両者離れて……では、始めなさい!」

力無く構え、前を向く。
そうして初めて、相手も剣を得物にしているのだと気付いた。
相手は正面から大きく振りかぶり、垂直に僕へ下ろしていく。

「……っ、」

剣の腹でそれを防ぎ、弾く。
フラリと体勢を崩した相手に向けて横薙ぎに一振、りを。

(今回が最後のチャンスなんだ)

腕が止まる。
その隙を突かれ、弾かれた。
無防備になった僕の鳩尾に重い蹴りが入る。

「かっ……はッ……!」

痛がってる、場合じゃない。
受け身を取り後方へと弾む様に起き上がった。
直後、僕が倒れていた空間が押し潰されるように割れる。
幾重にも重なる風の層で圧し潰す魔法、エアプレスだ。
発動が遅く、威力も弱い。
ということは、これはただの牽制……?

「ラグナ君、もういいよ。
もういいから、倒れてくれると嬉しいな」

いつの間にか距離を詰められていた。
目の前に何度も振り下ろされる剣を弾き、捌く。
……振りが滅茶苦茶だ。
実力で言えば僕の方が上だろう、けど。
僕は、防ぐことしかできなかった。

「早く……ッ、諦めろよ!」

一際重い一撃に身体の体勢が崩れる。
……そうだ、何を。僕は。
このヒトは前を向いている。
今をしっかりと見つめている。
ヒーローになりたいだなんて……それだけの、薄っぺらい夢をみているだけ僕が、このヒトに剣を振れるのか。
家族を救いたいというこのヒトを打ち負かしてまで、それは誇れるほどの夢なのか。
……どこかで、そんな気持ちがずっとあった。

自分の夢すら信じられない僕はなんで、此処に立っているんだろう。

「これ、で!倒れろ!」

次に振られた一撃は、防ぎきれなかった。
掠めるように僕の頭を捉えた衝撃に、今度は受け身もとれず無様に転がる。
起き上がれない。打ち所が悪かったようで、身体が上手く言う事をきかない。

徐々に暗転していく視界の端に……ハッと息を呑むレミと、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるジンさんの姿が見えた。
見に来て、くれてたのか。

「ぼく、は……」

情けない。
ほんとうに、なさけない。






*****




「仕方ないよ。勝負は時の運って言うし、それにまだ結果は出てないんだから」

帰り道。
僕を慰めようとしているのか、レミはこんな調子でずっと傍に居てくれていた。

「うん」

自分でも嫌になるくらいの生返事。
わかっているけど、それしか言う事ができない。
あの後、意識を失った僕は医療班に天使の城の医務室へと運ばれ、目覚めた頃には試験が終わっていた。
手応えを感じなかった筆記に、無様にノックアウトされた実技。
絶望的だろう、どうみても。

「私は、信じてるよ。受かるって。
ほら、サキさんいつもラグナのこと一生懸命頑張ってるって褒めてるし、だから……ね?」


レミのその分かり易い優しさが今は酷く煩わしく感じてしまう自分が、嫌になる。

「うん」

これでよかったんだ、これで。
あのヒトが、これでいい評価をもらって、天使になってくれればいい。
僕には次があるんだ。だから。

「やあ」

足が止まる。
僕に向けられたその声に、覚えがある。

「なんだ、振り向いてくれないのか。
冷たいな、ラグナ君」

また、身体が動かない。

「酷いな。
君が大袈裟に、わざとらしく倒れるもんだから。
俺は急所を狙った悪意のある攻撃をしたって、実技試験を失格にされたっていうのに」

「え……失、格?」

「そうだよ、家族を養えなくなっちゃったなあ。
これ、終わったなあ。俺の家族。
全部君のせいだよ、ラグナ君。
なあ?どう責任とってくれるのかな?」

心臓の動悸が僕の胸を激しく打った。呼吸すら息切れる。
な、なんで。どうして。
僕の……僕の、責任?
いや、ちがう。そうじゃない。どうして、それをこのヒトは”笑いながら”僕に。

「待ってください」

レミが声を荒げる。
両手に拳をつくり、僕とあのヒトの間に割って入った。

「さっきから聞いていれば……あなた、私が見習いだった時にもいたでしょ」

「……あ〜、そう。
いたんだ、君。それがなにか?」

へらへらと笑う彼の瞳だけはやはり、笑っていない。

「”あなたの事を知っている”って言ってるの。
そう、あなたがラグナに何か吹き込んだんだ。卑怯者!」

レミの言葉など意にも介していないのか、彼は軽く首を鳴らしながら僕に向かって笑いかけた。

「簡単に金を稼げるってきいたから見習いになってやったのに、毎日毎日勉強だの訓練だの面倒で仕方なかった。
ようやく試験を受けられる日数が足りたと思ったら実技の強い糞ガキが相手だなんて、分が悪すぎるだろ。
それに。俺はちょっと君と身の上話をしただけだ。なあ?」

投げ掛けられた言葉を受け取れず、目を逸らした。
そう、何も間違っては、いない。
彼は家族の為にお金を稼ごうとしてたんだから。
振り返るレミはどんな顔をしていたのだろう……俯く僕には見えなくて、そして、それがいけなかった。


「自業自得じゃない。
勉強も訓練も真面目に受けていなかった癖に、同情に託けてズルをするあなたの人格を疑うわ。
誰だってそれぞれ天使になりたい理由を抱えているのに、あなたはそれを武器に変えたの……うっ!?」

ゆっくりと近付く彼に距離を置こうとしたレミを彼はにこりとした表情のまま、なんの前触れも無く殴りつけた。

「レミ!!」

倒れ込むレミに駆け寄り、体を支える。
頬が大きく腫れるほど、強く打たれていた。

「ごめん、ね。ラグナ……わたし、何も……知らなくて」

「そんなの!……レミ、ごめん」

力無く僕に手を伸ばして謝るレミに首を振る。
……僕は、馬鹿だ。

「理由なんてどうでもいいんだよ。
もうやめだ。やめやめ。
憂さ晴らししたらこんな面倒なもんさっさと辞めよう、それがいい」

そう笑いながら彼は、腰から小さなナイフを取り出した。
憂さ晴らし……そうか、そうだよな。
僕のせいでとか、なんとか。
言ってたもんな。

「……ッ」

手が、震える。
気を失っているレミをゆっくりと横にさせ、彼を見る。

「ムカつくんだよ。そういうの。
馬鹿みたいに真っ直ぐな、ヒトを疑うって事を知らなそうな、飼い慣らされた犬みたいな瞳がさ」

くるくるとナイフを弄ぶ彼から、視線だけは絶対に背けず立ち上がった。

「そういうお花畑野郎ってさ。
少し笑顔を見せるだけで、身の上話を聞かされるだけで、すぐだまされるんだよな。
なんでも分かったふうに。
まるで自分が弱きを救う正義のヒーローだとでも言うみたいにさあ」

一歩ずつ、踏みしめる様に前へ。
……ほんとうに、何もかもを言い当てられた。
僕はどこかで彼に同情していて、自分の夢を都合よく理由に置き換えて彼を救った気になって。
自分で信じられもしなかった癖に、薄っぺらいヒーローを演じてた。

「手、震えてるよ?」

彼が笑う。
そうだ、こんな時でも。
僕の身体は震えている。
けど。
それは恐怖なんかじゃない。

「許さない……!」

身勝手な憂さ晴らしにレミを巻き込んだ彼を。
何より、信じようとして信じきれず、他人を利用した浅はかな僕を。
それでも信じてくれていたレミを助けられなかった、弱い僕を。

お互いに手を伸ばせば届く距離、彼の右手が視界の端で動く。

「……ハッ、ハハハッ!」

たじろぐ彼に視線を逸らさない。
持ち手を回して、僕の横っ腹へ突き立てる様に振られた腕。
その風を切る音だけに耳を澄まし左腕を振り上げる。

(自信を持て。自分が勝って当然、なんでも叩っ斬って当然ってな)

彼の二の腕に当たる感触、カランと落ちるナイフの音を耳に残し、空かさず懐に潜り込む。

自分を信じれもしない夢はもう、見ない。
曖昧な偶像(ヒーロー)に振り回されるのも終わりだ。
弱い自分を変えてやる。
薄っぺらい夢なんて叩っ斬ってやる。
レミをもう二度と、こんな目にあわせないように、強くなってやる!

「僕……いや。
”俺”は、もう迷わない!」

右腕を彼の身体の真芯に当てる。
空いた左腕を伸ばし、襟首を掴んでそのまま力一杯持ち上げた。
一歩足を広げ、しっかりと腰を下ろして、右腕を支点に一気に振り下ろす。

「がっ……はっ!」

仰向けに地面に打ち付け、彼の笑みが初めて苦痛に歪んだ。
当たり前だ、受け身を取らせない様に投げたから。
一息を吐き、踵を返す。
レミが心配だ。あの頬……痕にならないといいけど。

「ラグ、ナ……」

ゆっくりとレミを起こすと、か細くレミは俺を呼んだ。

「レミ……よかった。気がついたんだ」

安堵の息が出そうになって、首を振る。
こうしちゃいられない、早く医務室へ連れていかないと、

「っ!?ラグナ!!」

レミの叫び声に振り向く。
そこには、ナイフを振りかざした彼が立っていた。
歯を食い縛り、青筋を立てながらその瞳は憎悪の色に染まっていた。

「その、目が!ムカつくんだよ……!」

振り下ろされるナイフを防ぐ時間も無く、避ければレミに当たるかもしれない。
どうする、どうすれば……

「しまっ……!」







「そこまでだ」

閉じた瞼に淡い光が当たる。
ゆっくりと目を開いた。
彼と俺の間、そこには身の丈ほどに大きな絶斧……ジャジメントクァイクが突き刺さっていた。
その持ち手には、黄襟の白い外套を翻し六つの輝きを煌めかせながら彼を見据える……ウーリさんがいた。







*****




後からサキさんに聞いた話だけど。
ウーリさんは昨日任務の打ち合わせの帰りにまた、試験会場に顔を出していたらしい。
妙に気にするんだな、と思っているとサキさんはそれに付け加えて教えてくれた。

大天地隊はかなり大きな部隊であると共に、それに見合う実績と信頼を得ているため多くの場所から任務が集中する。
人気のある部隊だから人材には困らないけれど、それでも中途半端な仕事をされれば部隊全体に影響が出てしまう。
だから先に候補生に成り得る見習い達を見定めているのだ、と。

「それにしても、なんでウーリさんはあんなところに?」

「ああ、それは」

疑問を投げ掛けると、サキさんは困った様に笑った。
……何となく、わかった気がする。


(羽無し、まさか貴様が見に来ていたとはな)

(あ?うるせーな、ただの暇つぶしだ)

(ジン!お前には任務があった筈だぞ!)

(うるせーうるせー、サキまでこっち来んなよ。
だらしねーやつが見えたから気になっただけだ)

(はあ……もう。素直にラグナの様子を見に来たと言えばいいだろう。
たしかに今日のラグナは調子が悪そうだったが……あっ)

(終わったな。筋は悪くないが迷いが見える……羽無し、貴様は一体あいつに何を教えていたんだ?)

(ちっ……キナくせー)

(うん。確かに、今のは悪意のある一撃だった。私の贔屓目なしに客観的に見ても最低点、悪ければ失格だろうな)

(そうじゃねーよ)

(……羽無し、何が言いたい)

(知るか。俺は任務に行く。気になるんだったらあの馬鹿に直接聞いてみろよ)

(あっ、ジン!こら!)


「……というわけだ」

「あー、はは」

ジンさんらしい。
それで結局実技試験の後気になったウーリさんが医務室に訪ねると既に帰った後で、その後を追ったらあの場面に遭遇した、と。

「でもよかった、君達が大事に至らなくて。
ラファさんがレミの頬の腫れは直ぐに引くと言っていたから、安心するといい」

さて、とサキさんは立ち上がり医務室のドアに手をかけ、止まった。

「あと、試験のこと。ノックアウトされたからといってマイナスはつかないよ。
結果が出るまで諦めないで、訓練に励みなさい」

そう言い残し、サキさんは今度こそ部屋を出ていった。

「なんだかなあ」

医務室の椅子をギイと傾けながら、真っ白な天井を見詰める。
そんなに、顔に出てるんだろうか。
すぐ横のベッドで静かに寝息を立てるレミを眺めながら、思う。

……あのヒトはどうなったんだろうと、何故だか気になってしまう。
昨日ウーリさんに直ぐ組み伏せられて連れて行かれてしまったから、その後とか全くきいてないけれど。

あのヒトは、何故あそこまで歪んでしまっていたのか。もしかしたら、あのヒトも……。
そこまで考えて、苦笑する。
また、同情してるヒーロー気取りだと怒られそうだ。

「それにしても、ウーリさん。カッコよかったなあ……」

幼い時に見た姿と、全く変わらない。
叩っ斬ってやる!だなんてカッコつけておいて、いざ目の当たりにしたらこれだ。

「”僕”も、ああなりたい」

思ったより根深かった夢を斬り落とすのは、もう少し時間がかかりそうだけど。

立ち上がり、前を向く。
でも、もう見ているだけじゃない。
視線を落とす。
もう二度と、レミをこんな目に合わせないと誓ったんだ。
座り込んで、立ち止まっていられるか。

この夢の果てまでずっと、追いかけてやる。
追いかけて、追い越すんだ。
振り返ったときに、その夢を軽く拾えるくらい……それくらい強くなるんだ!

よし、そうと決まったらまずは城内十周からは「レミーーー!!!」うわっ!?

勢い良く開かれた医務室のドアに驚いた。心臓がはじけ飛ぶかと思った。
そこには息を切らして肩を上下させるセトさんと、フラフラになったフリズ。

「レミが!レミが怪我したって聞いたぞ!ラグナ!レミは大丈夫なのか!?」

すんごい形相だ。
昨日「オレはもうダメダ……」とか言っていたヒトとは思えない。

「だだ、大事には至ってないって、言ってたよ!」

「ほんとですか!レミちゃんほんとに大丈夫なんですか!?ラグビー君!」

フリズに襟を掴まれぶんぶんと振られる。このか細い手のどこにそんな力がっていうかその力あるなら任務だってあぐっ、苦しい!それ苦しい!

「こら!あなたたち病室では静かにしなさい!」

(主にセトさんの)騒ぎを聞き付けて、ラファさんまでやって来た。

ああ、ほんとにもう。
締まらないな、僕は。

「ヒーローは……遠いなあ……」

「フリズ!ラグナがなんか呟きながら泡吹いてるぞ!」

「えっ、あ……あー!ごめんなさい!ごめんなさい!」

「いいから手を離しなさい。フリズ」

薄れていく意識の中、いつの間にかレミが起き上がって笑っているのを見た。

何かを僕に言っているようだったが、生憎と耳を澄ましても聴こえない。

ああ、まずはジンさんの言う通り耳を鍛えなくてはいけないようだと思いながら、僕は深い眠気に誘われていった。








「かっこよかったよ、ラグナ」


fin.



©WEAKEND