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「気でも触れられたか!カナヅキ様!」
「ヒカリ一族の疲労は限界にきております…どうか、情状酌量の余地を!」
「この決断は必ずや波紋を生みます。
長くクガミ様に仕えてきたというのに…貴方は、何をその眼に映してきたのですか!」
国議を終え、会議室の前。
部下の者達から非難が飛ぶ。
王が病で伏せて以来、実質的な国政は私が担っていた。
それからは早かった。
国を護るという大義名分をかざし…反抗するものには罰を、行き過ぎたものには粛清を機械的に施していく内に…気がつけばそれに対して心が揺らぐことはなくなっていた。
「…くだらん。」
ああまるで、鉄のようだ。
それまでに決して少なくはない犠牲も出たが…必要な犠牲だったと、それだけだと思うようになった心が。
「…全てはニハ王国の為、」
…きっと、ニハ王国未来永劫の繁栄の為の土壌となれるのならば彼らも本望だろう。
そうに違いない。そうでなければ、ならない。
カミヒカリ常時稼働という今回の進言もそうだ。
王は快く思っていないようだが、それでは甘いと説き伏せた。
これもまた、国の為。
…まだ、まだ足りない。
このままでは十分な蓄えは生まれない、職人達の技術の向上が著しい今、生産を衰えさせてはならない。
王の読み通りアイスガーデンは攻め込まれた。
こちらに手が届いていないということは、敵軍には"護剣"の威光がまだ生きているということ。
ならば、今のうちに国を固めなくてはならない。
いつか見た本当の空のように…この空も照らし続けなければならない。
窓の外に広がる偽りの空を見上げ、思う。
くだらない情に流されて今を慮る時は過ぎたのだ。
大局を見据えねば、国は滅ぶだろう。
「今は耐え忍ぶ時だ、これはアマテラス様の試練と心得よ。」
「クガミ様のお心を、お聞かせください!」
「くどい、下がれ。」
時間が惜しい。
これから王に今回の内容を話しにいかなくてはならないのだ。
それに…彼らもこうやって反論するのは始めだけ、すぐに我が身可愛さに何も言わなくなる。
「カナヅキ…どうした?」
部下たちを下がらせて間もなく、後ろから王の息子…クサナギ様に呼び掛けられた。
「ああいえ…これはこれはぼうや様。如何なされました?」
ぶっきらぼうに顔を背けるクサナギ様に微笑む。
王が健常だった頃から世話役としてクサナギ様を見守ってきた。
…色々と手のかかる子だったが、芯の通った良い君主になれるだろう。
「別に…ただ、最近忙しそうだからな。
僕はじき、ニハ王になるんだ。国民の機微にも敏感なだけだ。」
おこがましい事かも知れないが、我が子のように思えて微笑ましくなる。
…娘は、もういくつになっただろうか。
「何でも、何でもないのです。ええ、心配することなど何も…」
「嘘をつくな。さっき、ここで何か言い争いをしていたじゃないか。」
…勘の良い所は、よく王に似ている。
「…国を想う気持ちはそれぞれ違います故、衝突もあります。
ですが皆、国の為を願い声を荒げるのです。
そうですな、そろそろぼうや様も国議に参加されては如何でしょう?さすれば…」
「カナヅキ。」
言葉が、切れる。
王に…クガミ様によく似た眼差しを向けられたからだろうか。
「お前は、何の為にそこまでするんだ。」
目を見開く。
頭が、真っ白になる。
「わ、たしも…ですから、国の為に。」
「なら、なんで。
なんでそんな顔をしてる。」
顔…?
いや、わからない。何を、何を仰っているのだ。
何も、何も言えない。
私は国の為に…王に、国を…何故?
「お前は小さな頃から世話になってるからわかるんだ。
ヒノモトが代替わりした頃から、お前はたまにそんな顔をする。」
…妻と娘と別れて。
同志をこの手にかけてまで…私は、何の為にここまでした?
「…僕は、その。
お前も、か…ッ、いい家来だと、思ってる。
だからお前だけがそういう顔をしているのは…いやだ。」
家来だからな!と付け加えながら、小さな王はそっぽを向いた。
「私は…」
すり減らし、刻み、積み上げた虚像が崩れていく。
「私は……ッ。」
ああ、ああ。そうだ。
私は。
ただ、護りたかった。
クガミ様の愛する国を、愛する家族がいる民達を。
言われたのだ。
護ってくれ、と。
報いたかったのだ。
親愛なる友と言ってくれたあの御方の、心優しい御方の切なる願いに。
全てを捨ててでも叶えたいと、思っていたのに。
「かっ、カナヅキ…泣いてるのか?」
いつの間にかそれは形を変えていた。
手段を目的に、その為にと切り捨てたものは、私が護りたいと思っていたものだった。
「いや…はは、老いると涙脆くなってしまって…いけませんなあ。」
知らぬ間に流れた涙を拭う。
ああ…暖かい。
「…その、カナヅキ。
僕は、"護剣の精"だ。
…うん、そうだ。僕は護剣の精の生まれ変わりなんだ。」
「…ぼうや様?」
「だから、カナヅキ。
独りで抱え込むな。
僕はこの国の民全てを救う者なんだ。
お前も…その中に入ってるんだ。」
だが、それでも。
私はもう、戻れない。
仄暗く冷たいこの道を突き進むしかない。
「もったいない、お言葉でございます。」
そうでなければ。
犠牲にしてしまったものたちに顔向けができない。
歩んだ道を今更引き返すような…そんな甘い決意を、クガミ様と交わしたわけではない。
これは…私の業なのだ。
「そのお言葉が…何よりの救いとなりました。」
今一度、王の前で決意する。
もう二度と、間違えぬように。
ニハ王国ではなく…"ニハ"の為に。
まだまだ甘い…穢れなきお心を持つ"護剣の精"の為に。
私は、剣となろう。
この先も犠牲を払うことになろうと、いつかその刃で自分自身を貫くことになろうとも。
…わかっている。
愚かしいと、
矛盾している、と。
だからこの想いは告げず、非情となろう。
…せめて。
せめてこの愛する国が、
愛する民達が、
永く豊かでいられるようになるまで。
カミヒカリに照らされた暗い空を見上げる。
あの日と同じように、
輝いて見えた気がした。
***
ーーーお前のおかげで、国はめざましい成長を遂げた。
お前の人生を、犠牲にして。
…私を恨んでもいい、愚王だと罵ってもいい。
これが正解だったのか、私には最期までわからなかった。
私ももう、永くない。
後を…クサナギを、導いてやってくれ。
…出来ることなら、望むなら来てほしくない"もしも"の時がきてしまった時は…頼む。
友よ。苦労を…かけた。
…以前よりこの軍の兵の数が増えている。増援が来たのだろうか。
それほどまでに護剣の力は絶大であったのだと、改めて思う。
大軍の中ゆっくりと歩く私の横を少女が通り過ぎた。
屈強な兵逹の中で異彩を放つ彼女から微かな冷気と、内に秘める膨大な魔力を感じる。
まだ若い…年頃の娘だというのに、彼女はこの軍の将のようだった。
私の視線に気づいたのか、サングラスの男が此方へと歩み寄る。
「心配には及びません。
彼女は私よりも、強い。」
「…そう、ですか。まだ若いというのに…多くのものを失われたのですな…」
強さとは、代償への業だ。
当人の意思に関係なく、払った犠牲は自らを研いでいく。
そうして研ぎ澄ませば研ぎ澄ます程に、ヒトはヒトであることを無くしていくのだ。
…気づいた時には、もう、遅い。
「…あの子は、違えぬよう…。」
気にかけてしまうのは、彼女も。
私と同じなのだと思ったからだろうか。
悠々と歩くあの華奢な背中に、一体どれだけのものが積み重なっているのだろう。
目線を上げる。
前を進む大軍の強固な甲冑に陽光が反射して、眩しい。
地上はあの時のように光溢れていた。
霞んだ憧憬が蘇りまるで、あの頃に戻ったかのような心持ちになる。
「…それが、地上と言うものです。
御老人、先を急ぎます。
あとは打ち合わせ通り、宜しくお願い致します。」
「ええ…こちらこそ、何卒…」
だが、再び見上げたこの空の、無限に広がる世界のなんと恐ろしいことか。
カミヒカリには無い力強い輝きに堪らず、目を伏せた。
…老いた眼には、この空は眩しすぎる。
肌に感じる陽光の暖かさすら今となっては煩わしい。
…ああ、きっと。
私にとっては、この空こそ偽りの空だったのだ。
カミヒカリの照らす暗い空…もうこの目に映ることはない空へ、視線を向ける。
「…こんなにも、近くにあったというのに。」
そこには…何度も何度も立ち止まり向きを変えた足跡があるだけだった。
それは、まるで。
私の人生のように思えた。
「…私は、やり終えたのだろうか。」
迷い、願い、祈りながら切り捨ててきた。
「私は…護れたのだろうか。」
答えはない。
未だ光の残視がチカチカと視界を遮るなかで、ふと、妻と娘の笑顔が浮かんで消えた。
未練がましい自分に、まだそんな感情が残っていた自分に少し驚き、笑う。
…願わくばどうか、生き延びてほしい。
「ああ…失念していました、御老人。
名前を伺っても?」
去り際に、マントを翻しながら振り向いた男に肩を叩かれた。
今まで、数えきれない多くのものを捨ててきた。
だがそれは護る為に必要な犠牲だった。
そうするしか、なかった。
不可侵の大国として在ったニハ王国の実状は、攻め込まれればすぐに瓦解するほど脆かった。
戦いを知らず、地上を知らずに生まれた民は"明日もそうである"と、疑うことなく信じていた。
だから、先を見据え最悪を想定しなければいけなかった。
クガミ様に最期に託された願い。
それは、
"この先何があっても、民を護りぬく事。"
僅かでも。
明日が来ると疑わない民を、ニハを途絶えさせぬように…全てを捨てよ、と。
「…………。」
もう…何もない。
これ以上は…あるとすればそう、私自身。
「…私は。」
ああ、そうだ。
民を護る為に、これも必要な犠牲だろう。
…国を捨てるという大罪を犯した逆臣として、名を吐き捨てよう。
願わくば…少しでも多くの矛先を、私に、どうか。
「私の名は……」
そして私も…
愛する国と、共に。
******
その後の彼の行方を知る者はいない。
愛し国へ、愛し者達へ。
吐き続けた言葉の真意を知る者もいない。
それは幾度となく通り過ぎる者達を切り捨てた彼の、報いとも言える結果であった。
だが。
後日ニハ王国が制圧されたと描かれた史実の中に、ニハの民逹が滅んだ、ということは描かれていなかった。
ただ、それだけのこと。
全てを捨て、自らの半生を捧げて…護れたものはたったの一行だった。
彼の名は、
愛吐き。
途方もなく巡る歴史のたった一行…その尊い一行を刻み、刻まれない多くの命を救った男。
それは誰にも知られることのない、ニハ王国の無銘の剣。
もうひとつの、
"護剣"の物語。
fin.